国民が難儀をする事の一つに、銀行など金融機関等から融資を受ける時に求められる保証人の仕組みがある。平均的な国民が銀行等からの融資を受ける時とは、住宅を建てる時、子供を大学等に進学させる時、家族が大病を患い入院し手術等に大金の要る時、車を購入する時、また農家なら農地の購入や営農を続ける為の資金、漁師なら新しい漁船を購入する時、商工業なら店舗のリニューアルなど新規投資をする場合など色々であるが、こうした場合、土地の担保の差し入れだけでは無く、連帯保証人の提出を求められる。それも夫婦間で収まらず、第三者を求められる場合も多い。金融機関としては、融資を受けた本人が、支払いが出来なくなった場合、連帯して支払いを求める為である。この事により、金融機関は貸付資金が保全される事になるが、連帯保証人は家、屋敷まで処分されるなど全財産を失う事になる場合も多く、末路は大変哀れで残酷である。
その取り立ては、連帯保証人になったばかりに、まるで犯罪者を追及するかのような態度であり、法律を盾に知識の少ない市民を追い立てる様は、まるで鬼である。
こうした悲劇から住民を守る対策として、金融機関は、第三者に迄連帯保証人を求めなければ成り立たない融資は止めて頂きたい。第三者にまで連帯保証人を求めなければならない場合とは、基本的に融資する事に不安が有る場合であり、無理をして融資の申請に応じようとする事が問題である。見方を変えれば、連帯保証人に迷惑が掛かる事が分かっていて融資をしているとすれば、一種の犯罪である。まず借り手の支払い能力の範囲内に留めるべきであり、それ以上の貸し出しをしたとすれば、貸し手の責任で対処すべきであって、それを第三者に求め、補てんをしようとする考え方はやめるべきである。担保を取り、利息を取り、元金の支払を定義づけておきながら、支払いが止まると第三者に迄責任を求める姿は、もう時代錯誤であると認識すべきである。
経済知識の少ない弱い立場の一市民まで巻き込み、その家庭まで破壊して、平気で居られるとは、まるでシャーロックホームズの時代であり世界である。
日本人は、古来より義理人情に厚く、寧ろその事を美徳として重んじ、連帯意識を守り大切に育んできた。その国民性が災いし、頼まれれば嫌と言われない心の繋がりの中で、連帯保証人に署名をしてしまう。言い換えれば、こうした国民性を金融機関は上手く利用し、企業の保全の為活用している。過重な融資をやめるという社会規範を高く持って頂き、市民の連鎖破壊による悲劇を無くして頂きたい。
公的企業である金融機関の使命であり、責任は重い。
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